あなたのアウトプットは、誰の著作物になりますか。

まだ十分に整理できていないのだけれど、ちょっと思いついたことがあるので、少し書いて見ます。

オープンソースソフトウェアのライセンスに関して、意見が食い違うとき、実は、それぞれ立脚点が違うんだろうな。と最近思っています。だから、過度に一般化すると無理が出てくる。その立脚点の違いはというと、成果物(コードや文書)が、誰の著作物になるのか、ということ。

昨年末ごろ、Twitter上でTwitter / Search – #笑ってはいけないSIerというタグが流行りまして、そこから派生して、「そもそもOSSがサポート無いと使えない。GPLは禁止。OSSを使うのに研修を受ける必要がある。OSSのソースを読むのは禁止。#笑ってはいけないSIer」から派生したGPLについての談義 – Togetterという具合にマジレスする人たちが現れ、GPLに関するいくつかの意見が飛び交いました。私も、「GPL適用のソースコードを他言語に移植してBSDライセンスに変更できるか」で、少し参戦しましたが(w。

このとき主題のひとつだった「GPLに書いてある翻訳ってどこまで適用されるのか。アイデアの移植にライセンスは影響するのか」について、日本男児さんがFSFに直接問い合わせて、その結果を漢(オトコ)のコンピュータ道: GPLソフトウェアの移植とライセンスの変更に見る著作権の問題で公開しています。結論は「場合による」。

それ自体は、しごくまっとうな結論だと思います。ただ、シロクロつかないからといって、思考停止するのではなく、じゃあどうやったら有効活用できるのか、考え抜くことが不可欠だと思いますが・・・。

で、それに関連して思ったのですけれど、GPLをどう扱うのか意見が異なるのは「成果物(コードや文書)が、誰の著作物になるのか」という違いだと思うのです。

私が、このブログに記事を書くとき、その記事の著作権者は私になります。
私が、個人で(しょぼい)プログラムをゼロベースで書くと、そのプログラムの著作権者は私になります。
私が会社で、何か文書を書いた場合、ほとんどの場合、その著作権者は私が勤める会社になります。私の現在の本業は、会社の広報宣伝担当者なので、ほとんどの場合は職務著作となって、会社の著作物を作ることになるからです(仕事でプログラムを作ることは、まずほとんどありえません)。
しかし、私が会社で、よその会社の広報業務を請け負って文書を作成した場合、作成物は委託元の著作物になります(そういう契約を会社間でしていればですが)。

さてソフトウェア開発者の場合は、どうでしょう。
個人で作成したプログラムは、その個人の著作物になります。
会社で業務でソフトウェアを開発すれば、職務著作となって、会社の著作物になります。
では、受託開発の場合はどうでしょう。委託元に納入するとき、そのソースコードの著作権はどうなるでしょう。それは、業務委託時の契約で決まります。契約をきちんと交わしていないなら、企業コンプライアンス的に事前に契約を交わすべきです。経済産業省が公開している情報システム・モデル取引・契約書が参考になるでしょう。

最近は、委託元はソースコードの権利をもっておきたいし(委託先がなくなってもメンテナンスできるように)、委託先もせっかく開発したソフトウェアをライブラリやミドルウェアにしてビジネスを展開したいので、両者が自由に利用できるというような契約にするんじゃないかと思います。

で、そんな受託開発案件でOSSを使いたい、開発期間も短くなるしコストも下がるしコードは枯れて信頼性も高いし、いいことばかり。でも、GPLが入っていた場合、どうなるんだろ。というのが、今日本の受託開発の現場で起きていることじゃないかと思うのです。そして、そのときGPLなソースコードを参照すべきかどうか、それは委託先となる受託開発企業の一存では決められません(ましては、担当プログラマーの一存で決めることでもありません)。なぜなら、その生成物は委託元企業の著作物になると、契約で決まっているかも知れないから。

というような状況で、開発現場がGPLなソースコード参照禁止とするのは、現実的な解決策のひとつとしてありうることだと思います。

でも、事前の契約や見積りのときに、GPL参照可だと開発費が安くなり、参照禁止だと高くなるとか、委託元と調整の余地は、いっぱいあるような気もします。

つーことで、GPL化されたソースコードをどう扱うべきか、意見交換するとき立脚点を明確にするのが重要ではないかと思いました。それをはっきりさせないで、GPL化されたソースコードはこうあるべきだというディスカッションをしても、話がかみ合わないのは当たり前なんじゃないかなぁ。