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Photo By Justin Marty CC BY 2.0 Some rights reserved
「オープンソースの定義」に準拠するオープンソースソフトウェア(OSS)とは別に、ネットを介した共同作業で成果を上げることを「オープンソース的」「オープンソースな手法」と表現する場合が目につくようになりました。
それだけ、オープンソースソフトウェアの認知度が上がっているということだと思いますが、ほとんどの場合、「バザールモデル」や「Wiki」のような共同作業を指しています。
そこで、このページでは、「オープンソースの定義」に準拠しない形でオープンソース的と形容している用例や文書を集めてみました。ソフトウェア以外のものが中心になっています。
本来のオープンソースを理解せず、ただの流行り言葉として使うのは混乱のもとですが、一方で、このような形容詞的な用法を言葉狩りするのは行き過ぎな気もします。
ソフトウェアライセンスの一手法としての「オープンソース」と、そういうライセンスに基づく共同作業としての「オープンソースっぽさ」が、意識して区別できれば(書き手も読み手も)、いいんじゃないかな。
目次
ただのコンソーシアムも、オープンソース。
フェイスブックなどソーシャルネットワークスシステムを介した社会運動を「オープンソース」革命と呼んだりしている。たとえば、NYウォール街のデモは、Facebookなどを連絡手段に使って注目されて、それが「オープンソース革命」と表現されている。
元世界銀行副総裁のJ.F.リシャールは、このようなオープンソースの手法を政治に応用できるのではないか、と考えた。 「問題はグローバル化ではないのだよ、愚か者」という本にその具体論が描かれている。
単純に、OSSをいっぱい導入する、ソフトウェアをLinux対応にする、ソフトウェアをOSSにする、OSSコミュニティに協力する、OSSを製品メニューに取り入れるというのも「オープンソース化」と呼ばれている。まあ、間違っちゃいないけれども。
単なる公開や共同作業化を、「オープンソース化」と言っている場合もある。
梅田望夫さんは、「ウェブ進化論」のなかでオープンソース現象を定義しているけれど、それは単なるバザールモデル。
あと、「オープンソース的協力」なんて言葉も登場する。
「オープンソースの定義」のポイントは、ネットを介した共同作業で成果を上げることではなく、
自由な利用を保証しているところにある(たとえ、自分自身の主義主張に合致しないとしても)。
オープンソースという言葉は、こういう発想を前面に出していないけれど、根底に残っている。
こちらは、オープンソースソフトウェアを名乗りながら、オープンソースの定義に合致しないソフトウェアライセンスを適用しているものについて